速報偕楽園 好文亭 (こうぶんてい)
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好文亭の名前の由来は、晋(しん)の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれています。
  二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。好文亭三階の楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事です。
  おすすめスポットの一つです。 (好文亭は偕楽園の中にあります。)
  おもしろ情報:好文亭と田鶴鳴橋

見学時間
休亭日

観覧料

お問い合わせ
9:00〜17:00 (2月中旬〜9/30)
9:00〜16:30 (10/1〜2月中旬)
年末3日間のみ
(12月29,30,31)

大人 200円
小人 100円
満70才以上は半額

偕楽園公園センター
TEL.029-244-5454

 
好文亭全天球360°映像
下の「好文亭見取り図」の部屋名をクリックして全天球360°映像をお楽しみください。
(未設定箇所:水屋,茶室,待合,露地門)。
360°映像をドラッグすると天井などの様子も分かります。映像は入れ替えることがあります。

 下の写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
  部屋名クリックで360°画像へリンクしている箇所もあります。写真の下に説明があります。   2021.3.5 更新

 



好文亭の額
(御座の間の前、外ナゲシにあります)

好文亭は水戸藩第九代藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)の別墅(べっしょ)であるが、そこは己一人が楽しむ所ではなく、民と 偕(とも)に楽しむ所であった。
左写真の額「好文亭」は、御座の間(烈公の間)前の中庭側にあります。もともとはここが好文亭の入口であったようです。見落としやすい場所です。

 

 奥御殿(おくごてん)
       奥御殿は十室からなっています。奥御殿は昭和44年9月2日の落雷により焼失し、再び昭和47年に復興された。



菊の間 ← クリックで360°に画像へ

菊の間と桃の間は、いずれも総板敷きで厨(くりや:食事の準備の場所)として使用された。

 



桃の間 ← クリックで360°に画像へ



つつじの間 ← クリックで360°に画像へ

つつじの間、桜の間、萩の間は、藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人た ちの詰め所、休憩室として使用された。



桜の間 ← クリックで360°に画像へ



萩の間 ← クリックで360°に画像へ



紅葉の間 ← クリックで360°に画像へ

松の間は奥対面所で、紅葉の間は、次の間である。

藩主婦人や、高貴の方々の座所で、紅葉の間との間には入側をもって隔ててある。



松の間 ← クリックで360°に画像へ


竹の間 ← クリックで360°に画像へ

竹の間、梅の間、清の間(せいのま)の三室の一棟は、明治二年に水戸市柵町にあった中御殿の一部材料を運び奥殿に増築したもの。
屋根は柿葺(こけらぶき)である。

 

斉昭公夫人の貞芳院が明治2年から6年まで「梅の間」を中心に住まわれた。(その後は東京に移られた。)
自来この梅の間は、亭中最貴の室とされている。



梅の間 ← クリックで360°に画像へ


清の間 ← クリックで360°に画像へ
   

太鼓廊下 ← クリックで360°に画像へ

奥御殿とを結ぶ連絡路。

好文亭の通路はとても狭く作られている。

これは武器を持った敵が乱入した際、その動きを制限するねらいがあったとされている。
廊下の左側に篠で作った格子窓があります。外からは窓であることが判らないように工夫されている。

華燈口 ← クリックで360°に画像へ

 

華燈口

奥殿から茶室へ通る2畳の小室。中に小坊主が控えていて、奥と茶の席との連絡にあたった。上方がアーチ状で狭く、下方は広く開いた形をしてる。室内の杉戸には古今集の和歌が華麗な色紙・短冊に書かれてありましたが火災により損傷した。原画は藩医小松玄甫、復元は東京芸術大学の先生があたった。

 



東塗縁広間 ← クリックで360°に画像へ
(ひがしぬりえんひろま)

列公が藩内の家臣、庶民の老人を招いて慰労の催しをされた総板縁の室。

養老の催しは、諸士は80歳以上、庶民は90歳以上の者を招いた。

杉板のアジロ張り天井にも注目。



御座の間 ← クリックで360°に画像へ

 

藩主が来亭して、この室にいるときは、何かと用務もなさっていた。部屋には床の間を設けず、竹の柱だけを下げ、極めて簡素に作られており、竹のアジロ網の中に紗を張った網代戸をとおして左右の間が見えるようにしてある。

東塗縁で敬老会等がある時は、障子を開けて、直接招いた老人たちと閲見したり、また、西塗縁で集会の人々や、文墨の人々を入側に呼び入れて語ることも多かったようである。軒下に敷き詰められた黒石は和歌山県の那智石、ガマの背に似た斑紋があるのでガマ石と呼ばれる大きな履脱石は、2.4m×1.6mあり谷田の羅漢寺にあったものをここに移設したとされている。石の写真

 



西塗縁広間 ← クリックで360°に画像へ
(にしぬりえんひろま)

東西3間、南北6間の塗縁の大広間。北側と西側各2枚の杉戸には作詞作歌に便するため、四声類別表-平仄(ひょうそく)が書かれている。揮毫は名越敏樹、松延道園の両氏、復元は諸橋轍次氏とされている。天井は杉皮網代張り、ここで文墨雅人がよく集まり詩歌を作り書画を揮毫した。

障子の白色と、総板縁の黒色と、庭園の緑が見事な調和をみせる。

90度方向転換する不思議な雨戸

雨戸が部屋の角で90度に方向を変えます。
利点:1室に対して、戸袋が1カ所のみですむことから、戸袋がじゃまに
ならず視野が広がり、見事な景観がひろがります。
今見えている位置で、90度方向転換します。

訪問の際は、仕組みを観察してみるのも面白いですよ。



対古軒 ← クリックで360°に画像へ
(たいこけん)


対古軒の板額


取っ手

 対古軒(たいこけん)

西塗縁の北側に接している四畳半の一室。
好文亭に招かれた人が少し休んだり、茶席にでる前に、静座してし心気を整える部屋です。

 

 

この室から茶室に至るナゲシに、烈公の歌が彫れらた円形の板額がかけられている。

「世をすてて 山に入る人 
        山にても なほう(憂)きときは ここに来てまし」
意味
(山に入っても、なお落ち着かなかったら、
                静かなここ好文亭にお出で下され)

 

 

 

この部屋の取っ手は、戸を開けなくても中の様子が分かるように特殊な構造になっている。

 

 



茶室
何陋庵
(かろうあん)

茶室「何陋庵(かろうあん)」は、亭の西北に位置しています。
茶室特有のニジリ口は無く、普通の2枚の障子戸で左右どちらからでも入れるようになっており、貴人口とも呼ばれる。 古田織部が工夫した織部口である。
床柱は、島津斉彬から贈られたつつじの巨木

この庵の設計には、石州流原森一郎氏と宗彳扁流小山田軍平氏が参加したとされています。(一文字で、彳+扁)
写真の中の説明文をクリックすると拡大されます。


急な階段

 

階段が急です! 上り下りには十分お気をつけ下さい。
お城の天守閣に上るような感じの急な階段。
急な階段は、不意の敵襲に備えたもの。
左手には「武者控室」、右手には敵を封じる攻撃用「隠れ室?」がある。

 


楽寿楼 ← クリックで360°に画像へ
(らくじゅろう)


三階を特に「楽寿楼(らくじゅろう)」と呼んでいる。この八畳間の正室からの眺めは格別である。
床柱は、島津藩主 島津斉彬(しまづなりあきら)から贈られたサツマ竹が用いられた。
このサツマ竹床柱の節は、漢字「武士」の画数にちなんで11個ある。
正室の後側には、お茶坊主の控え室がある。配膳用のエレベータも見逃せない。
(3階からみたエレベータの通路、いざというときには緊急避難路にもなる。)この配膳用エレベータは烈公(徳川斉昭公)の創意によるものと伝えられている。

床の間左側には、烈公が陣太鼓を作ったときの余材を利用して作った漆塗り丸窓の富士見窓を有する。その陣太鼓は常磐神社境内の義烈館に陳列されている。

 

楽寿楼  3連障子

 

楽寿楼東側の障子は、3連障子である。
1枚を引くと、2枚目、3枚目が続いて出てくる、不思議な障子である。
瞬時に閉め、瞬時に開けることができる。
更に、この構造の利点は、障子を全開した時1枚の幅に4枚が収まることから、 眺望、風通し、採光に優れた効果がある。

 

 


楽寿楼からの展望

 

つつじの頃、楽寿楼からの展望

木々の緑に霧島つつじの巨木がひときわ映える。
南東眼下には千波湖(せんばこ)、春には満開の桜で賑わう桜山が西側に、南西には筑波山が見えます。昔は太平洋岸の松も眺められたとか。
偕楽園の誇る景観がここで一望できます。

 




待合(まちあい)


茶説


茶対


巧詐不如拙誠

 

待合(まちあい)
茶室何陋庵(かろうあん)の露地の西側にある。
茶室に招かれた客が、席の準備ができるまで控え待つ場所。

間口9尺(2.7m)、奥行6尺(1.8m)、屋根はチガヤ葺き(チガヤブキ)。総体くぬぎの丸太作りで、三方は壁、内側に腰掛けがある。壁に四角と丸の額が計三つ掲げられている。


「茶説」
桜の板 (縦40cm×横83cm)に隷書(れいしょ)の文字で彫ってある。
茶の作法の要点を説いている。
意味:
「ありふれた道具を使うものを恥じてはいけない。懐石も質素なものがよい。身分の隔たり無く席を同じくし、しかも慣れすぎて秩序を乱すことなく、膝をつき合わせ大いに話せ。まじめで飾り気なく、上品な事を尊び、仲良く親しみあっても節度あることが茶の作法である。」



「茶対」
円形の桜板、(直径43cm)草書の文字で彫ってある。
意味:
「茶器は簡素で汚れのないものがよい。茶室は飾らず静か。その庭は狭く趣深いもの、茶人の交わりは親しい仲にも礼儀を重んじ、茶会をしばしば催してもおごらぬよう。」

 

 

「巧詐不如拙誠(こうさせっせいにしかず)」
ケヤキ板(縦94cm×横44cm)に篆書(てんしょ)で彫られている。

意味 :
「巧みにいつわるよりは、つたなくとも誠であるほうがよい」

 



露地門

七曲がり坂を登ったところにある。
日常世界と茶の湯の庭との界に置かれる門。何気ない風情と穏やかな佇まいに魅せられる。
現在は解放されていない門であるが、昔はこの露地門をくぐり待合に入った。

 

 

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